わかってるけど、しんどいときもある

義父母のこと、介護のこと、今だから分かるあの頃のこと、思い出しながら綴ります。

エアコンが壊れたおかげで

ずっと気になっていた。

クローゼットの高い場所にある、段ボール箱2箱。

 

とりあえず写真を放り込んでいた箱だ。

いつか整理しなければと思いながら、気づけば20年ほどが過ぎてしまった。

 

できるだけ物を減らしたいと思い、服や小物は捨てることもある。

 

でも、その段ボール箱だけはずっとクローゼットの高い場所。

 

若い頃、椅子に乗って持ち上げたその箱に、大雑把な私は何年もかけて次々と写真を放り込んでいた。

 

気づけば、自分では下ろせないほど重くなってしまい、夫にお願いしないと動かせなくなった。

 

そのうち時代はスマホになり、アルバムや現像した写真は、そのまま段ボール箱の中に閉じ込められたままになっていた。

 

それでも頭の片隅には、いつもあの箱があった。

時々ふと思い出す、昔の思い出が詰まった段ボール箱。

 

子どもたちの小さな頃。
(かわいかったな。)

結婚前の夫との写真。
(恥ずかしい。)

結婚式や、新婚旅行でビキニを着た写真まで。
(恐ろしい。)

整理整頓のためだけではなく、消してしまいたい写真を早く何とかしなければという思いが、最近は特に強くなっていた。

 

50歳を過ぎ、終活を考えるようになってからは、「残された写真は子どもたちにとって重荷になるのでは」と思うようになったからだ。

 

頭の片隅にあった段ボール箱は、もう片隅ではなくなっていた。

 

焦り始めた頃(「とっととやれば」という声は聞こえています)

そんなタイミングで、この暑い時期に寝室のエアコンが壊れた。

 

エアコンのダクトはクローゼットの中を通っていて、ちょうどあの段ボール箱の横を通っている。(文章が下手で構造が伝わるか分かりませんが。)

 

交換工事では、その段ボール箱を下ろさなければならない。

 

壊れるべくして壊れたのだと思った。

 

夫の手によって、いよいよあの段ボール箱が下ろされる時が来た。

 

映画『タイタニック』で、沈没した船から金庫を引き上げるシーン。

頭の中にはセリーヌ・ディオンのあの曲が流れていた。

(私の中ではそんなイメージ)

 

ホコリをかぶった段ボール箱を開ける。

期待と不安を抱えながら中を見ると……

自分の両親。
子どもの頃の私。

 

夫とのデート。

ソバージュのロングヘアに、くるんと巻いた前髪。真っ赤な口紅。

(これは消してしまおう。)

 

自分の隠ぺいしたい写真は処分。

写りのいいものや、面白いものだけを残す。

子どもの写真は、とりあえずほぼ残し、あとで時間のあるときに厳選しよう。

 

結婚式の写真は、みんなが撮ってくれたおかげで同じような写真が山ほどある。

 

これもある程度処分して、あとでもう一度厳選しよう。

 

私の結婚式のメイクは、宝塚のように濃かった。

一眼レフで撮ってくれた写真は、ドレスは鮮やかで素敵だが、顔がちょっと見るに耐えない。

 

そんなふうに写真を整理していると、その頃の出来事や感情が一気によみがえってくる。

悲しいのか。

寂しいのか。

懐かしいのか。

甘酸っぱいのか。

ポジティブなのか、ネガティブなのか。

 

自分でもよく分からない、不思議な気持ちになる。

 

夫の大学時代の写真。

私の知らない頃の夫。

サークル仲間との旅行。

海や川、スキー。

両手に女の子を従えてポーズを決めている。

(ほほほ、楽しそうどすなぁ。)

嫌味を言うのに京都弁は便利だと、何かで読んだことがある。

 

大勢の仲間に囲まれていた夫。

忘年会だったかな。

そのサークルの集まりに一緒に行こうと誘われたことがあった。

でも、大勢が苦手な私は、

「行ってきなよ。」

と断った。

そんな私と付き合うようになったからなのか、その頃の夫は、その仲間たちと自然に会わなくなった。

 

私のせいだったのか。

それとも自然にそうなっただけなのか分からない。

 

でも、もし私のせいだったのだとしたら

こんなに楽しそうだったのに。その先の時間を、私がもらってしまったような、少し悪いことをしたような気持ちになった。一緒に時間を過ごしてくれた事に感謝した。

 

ずっと昔にこの写真を見た時は、そんなふうに感じなかったのに。

私の中身も変わったんだと思った。(外見も)

あの頃はチャラチャラしてる感じにただ苛立ちを感じたのをおぼえている(笑)

 

ごめんなさい。

いい人ぶったけど、正直に言うと今回も苛立ちはあった。

 

80になった時、またイラっとするのだろうか

試してみよう。

 

 

結婚式で顔を歪めて涙を流す父親。

初めて見る父の泣き顔だったなと改めて思った。

親の愛を思い出した。

子どもたちの小さな頃

熱を出したときの心配。

進路に悩んだ日々。

合格したときの喜び。

夫との喧嘩。

そして話し合い。

そしてまた喧嘩(笑)

思い出したくない出来事もあるけど

 

この段ボール箱には

たくさんの思い出が詰まっていた。

 

今、平穏に暮らせているのも、夫や家族、友達とのたくさんの出来事が積み重なった先にあるのだと、しみじみ思った。

 

心から感謝した。

 

エアコンの壊れた暑い寝室で、一人写真を整理していると、まるで違う時空にいるような、不思議な気持ちになる。

 

暑さに耐えきれずリビングへ行くと、ひんやりした空気に一気に現実へ引き戻された。

 

テレビを見ながら、少し背中の丸くなった夫が何かを食べている。

「何食べてるの?」

と聞くと、

「クッキー。」

そう言いながら口をもごもごさせている。

 

しっかり現実に戻された。

 

「誰? なんか入れ替わった?」

さっきまで見ていた写真の中の夫と、本当に同じ人なんだろうか。

そんな不思議な気持ちになって出た言葉。

 

「悪かったな。」

そう言って、またクッキーを頬張る夫。

 

「でも今のほうがいいと思ってるよ。」

そう伝えておいた。

 

本当にそう思ったから。

まだ髪があった写真の中の夫よりも、楽しい思い出も、つらい思い出も、いろいろ一緒に積み重ねてきた今の夫のほうが、私は好きだ。

 

 

でも、写真を整理しながら私が味わっていた、この複雑な気持ちは、きっと夫には分からないんだろうな。

 

 

 

 

 

 

#24 寄り添うだけでいいという事

最近、痩せなければ!と思っていました。

体重が5キロ程増えてきたのは確かですが、久々に髪を後ろで束ねた私の顔をしみじみと見ている夫。後ろに束ねた事で顔が丸出しになっていたのでしょう。

 

「丸いなー」とお腹を抱えて、笑っています。

 

楽しそう…。

そんなに笑えるなら、このままでいいかもと思い始めた私です。

 

 

 

 

 

 

さて、義母が脳梗塞で入院してから、義父のお世話や義母の面会に、ちょっぴり疲れてきていたあの頃のこと。

 

いつものように入院中の義母の様子を見に病院に行きました。

 

「来たよ。お母さんどう?」

 

義母の洗濯物がないか病室の棚の扉を開け、覗き込みながら義母に話しかけると

 

「天井が雨漏りしてるから」

「そこ、ほら」

 

と、天井を指差す義母。

 

その日は晴れ。しかもまだ新しい病院です。雨漏りなんてしないのです。

 

 

「そう?大丈夫だよ」

「雨漏りしてないよ」

 

天井を見上げながら義母に言いました。

 

怪訝な表情の義母でした。

「でも雨漏りしてるから…」

って聞こえてきそうな顔。

 

 

 

そんな義母に、今になって思うことは

「それは困るよね」

って、義母が見えてる世界を、そのまま受け止めてもよかったなって思います。

実際に本人はそう見えているのだから、わざわざ訂正しなくてもよかったなって思うのは

認知症が進んだ今の義母を知っているからこその後悔ですね。

 

否定しない、受容すること。

知識としては知っていたものの、本当の意味では、わかっていませんでした。

「そんなのはきれいごとだ」

なんて、ささくれだっていた気もします。

 

現在はグループホームにいる義母。その会話は、お天気の話や、どこか痛いところはないかとか、体調の話。

義母からでる言葉は本当のことかその場だけの言葉かわからないし、間違っている思い出を話すこともあるし、作話でもなんでも、それはどっちでもいいと思うようになりました。

 

歩けなくなり、車椅子に乗り、確実に認知症が進んでいく姿に、死にむかって生きているんだなと思わずにはいられなくなり、本当のことよりも、ただ心穏やかに過ごすことができればいいのだと思うようになってきたのです。

でもそうやって思えるのも、グループホームに入所し、自分にも余裕ができたからだと思います。

 

 

あの頃の義母の入院中にはそんな余裕がなく、日々の介護にどんよりとした心を抱えていました。いつ降り出してもおかしくない雨雲のような感じですね。

入院中の義母は、せん妄だったのか、認知症だからなのかわかりませんが義母は意味のわからない事を、よく言っていました。

 

「お父さんを船で迎えに行かなくてはいけないから…」

と涙ぐみ義父を心配して電話をしてきた事もありました。

 

義父は普通に家にいるのですが、夫の弟にも同じように、義父を船で迎えに行くのだと電話をしていたり、あの頃の義母はいつも自分の心配事、不安を周りにふり撒いていました。

 

そのほとんどが義父の事だったような気がします。

 

そのため義父を連れて病室に行くと、看護師さんが、

「お父さん来てくれたね!よかったですね」

と、義母に声をかけてくれました。

 

いつも義父の心配をしている義母の事は看護師さん達にも周知されていたので、看護師さんの何人かは、義母にそうやって声をかけてくれました。

 

 

その日、義父を義母の病室に残し、私は1人で義母の病室のテレビのプリペイドカードを買いに、廊下を歩いていると、ある看護師さんが私に声をかけてくれました。

 

 

「お嫁さん、お父さんのことも大変ですね。大丈夫ですか?…ちゃんと寝られてますか?」

 

私より、少し歳上の看護士さん。

 

私の顔を見つめ心配そうな顔で伝えてくれました。

 

「あっ……」

私は声が出ませんでした。義母に声をかける看護師さんばかりの中、私への優しい声掛けに思わず胸がつまりました。

 

泣いてしまわないように口元を歪めます。

 

私は、ただ頷く事しかできず、意図せず涙がぽろりと流れました。

 

なかなか言葉をだす事ができませんでした。

突然の優しさが、私の琴線に触れてしまったようでした。

 

その頃の私は、仕事から帰ると、義母の面会、義父の通院や身の回りのことで忙しく、しかも、その日は義母がなくしてしまった入れ歯のことで、歯医者さんから、なんだか叱られた日。そんなの知らんがな。何で私がって感じの日。

 

絶妙なバランスをとっていた感情だったから、その看護師さんの優しさに、思わず感情が溢れてしまいました。

 

涙を拭いながら、

「……あっ、はい…大丈夫です。ごめんなさい」

「なんか…優しい言葉に反応してしまって」

と思わず泣いてしまったことが恥ずかしく照れ笑いでごまかしました。

 

心配そうな笑顔のその看護師さんに、

「ありがとうございます」

と、一礼して、私は廊下を歩き出しました。

 

優しい看護師さんに感謝し、気持ちが落ち着くと

「あれ?私は、なんで泣いてしまったのだろう?」

「私は不幸でもなんでもないのに」

急に自分が恵まれている事に目を向けることができました。

いつの間にか自分を俯瞰してみることができるようになっていました。

 

 

今思うと、その看護師さんの優しさのおかげで、張り詰めていたものが、ふっと緩み、素の自分に戻れたんだと思います。

 

その日も、慌ただしさの中、介護者としての自分、ちゃんとしてる私、嫁としての私を演じ続けて、こわばっていて、そして自己憐憫でいっぱいだったのですね。

 

私の心の中のどんよりとした雨雲をつついて雨を降らせてくれたおかげで、晴れ間が見えてきた感じでしょうか。

 

「大丈夫ですか?ちゃんと寝られてますか?」

患者さんだけに向けられると思っていたその言葉を、介護者の私に向かって言葉をくださった事が、私にとってとても嬉しくて、心が解放された感じがしたのかもしれないです。

 

人がなんだか塞ぎ込んでいる時、寄り添うだけでいい。という事が

 

なんとなくわかった日の出来事です。

 



 

 

ロードスター初ドライブでドキドキの出来事!

昨年の秋の話です。

 

夫が欲しくてたまらなかった

ロードスターが我が家にやってきましたが

(よかったら↓読んでください)

sum237.hatenablog.com

 

初ドライブに行こうとも

夫は土曜、日曜、両日とも、

半日はテニスに行きます。

テニスの時間に間に合うように、

家から片道1時間ほどで行ける道の駅に、

行ってみることにしました。

 

ほどよく山道なので、オープンで走っても、

人目が気にならない道を

通ることができます。

オープン初心者、「人目気にする族」

の私としてはありがたい道です。

 

ロードスターについてYoutubeで

日々、予習していた私たち。

どうやら、ロードスター乗りは

同車種ですれ違う時、

お互い手を挙げて挨拶する

という「ヤエー(Yaeh)」

と呼ばれているものが

あると知りました。

 

多分、夫は『ヤエー』やりたい派だろうと

思っていた私は、

 

「どうする?もしロードスターとすれ違ったら」

 

と夫に聞いてみると

 

「どうだろうなあ」

と言いつつ、嬉しそうです。

(やる派だな)確信しました。

 

車庫のシャッターを開け、

ロードスターの運転席に座る夫は

私が助手席に乗る時

 

「気をつけろよ」

 

と真顔で訴えました。

 

ドアを壁に当てるのでは

ないかと、心配しているのが

ひしひしと伝わってきます。

 

以前乗っていた車のドアを開けた時

家の門柱にコツンとぶつけたことがある私は

信用がありません。ほんのちっちゃな傷、

米粒ほどの傷がドアの角についたのですが

夫はめちゃめちゃ凹み、その日の

お出かけは中止になりました。

 

怖いですよね。

 

自分でも、いつかやるんじゃないかと

怯えている私は、細心の注意を払い、

夫の私に対する不信感、緊迫感の中、

無事ドアを閉めます。

 

夫がエンジンをかけ、いよいよ出発です。

 

「人の目気にする族」の私を

思ってくれた夫は、

家からオープンにするのは、

ハードルが高いだろうと、

まずは屋根付きで出発してくれました。

 

一応帽子も車内のちょとした隙間に

畳んで入れてあるのですが、

その日は曇り空で、

必要ないかなって感じでした。

 

 

納車後すぐに、とても天気が良い日に

帽子を被り、オープンにして少し近所を

ドライブしたのですが、

日焼けを心配した私は、しっかりめに

深く帽子をかぶったところ

 

「あれっ?今、屋根開いてるの?」

 

ぐらい視界が狭くなり、

全く、オープン感がなかったことから、

できれば「ノー帽子」で挑みたいと

思っていました。

 

この日は曇り空。オープンドライブなら

私にとって好都合でした。

 

夫の職場は、自宅から車で1時間弱のところ。

ロードスターを手に入れてから、

天気の良い日はロードスターで

出勤するようになっていました。

通勤時間が、楽しい時間になったことは

夫にとって人生が豊になって

よかったなって思います。

 

2シーターで狭い車内ですが

助手席に、荷物を置くことができるので

通勤時は気にならないと思いますが、

私が助手席に座る時、大きな荷物は

トランクに入れることになります。

 

後部座席がない車は初めてで

最初は窮屈に感じて、

「あっ、こんなところに隙間がある!」

「ここに帽子を挟んでおこう!」

と、ちょっとした隙間も

ありがたく感じていました。

狭いながらにドリンクホルダーが

2つ付いてるだけでも

 

「ちゃんと2つある!便利だよね!」

 

と思えました。

 

そしてこの日

そんなありがたいドリンクホルダーに

飲み物を置き、夫は真剣な顔つきで

アップルミュージックから選曲しています。

 

ロードスターのスピーカーから

音楽が流れてきます。

 

 

 

 

ボサノバです。

 

 

チルというのでしょうか…

 

 

なんかそれらしくしたかったのでしょう。

 

 

山道になり、夫が満を持して言いました。

「オープンにするか?」

 

夫が幌(ホロ)を開けた瞬間、

一気に空とつながります。

 

少し肌寒くなり始めた頃ですが

都会より山が好きな私には

木々の中、とても心地よく感じました。

 

そんな矢先

前方から、ロードスターがやってきました。

 

 

「あっ、ロードスターじゃね?」

夫は確信しました。

「えっ、ヤエーだよね?」

私が言います。

 

2台のロードスターの距離は

どんどん近づき

 

 

「どうする、どうする…」

 

 

そのロードスターが真横に並ぶと

運転席の男性が

 

 

 

 

 

手をひょこっとあげてくださいました。

 

こちらはまごまごしていたのですが、

先輩ロードスターさんが見本を

見せてくださいました。

 

一瞬の間の出来事で

こちらは無反応になってしまい

「今、手あげてくれてたよねー

ヤエーだよー」

「できなかったねー」

とテンションがちょっぴり上がった

私たち。

 

『ヤエー』初心者の私達…

次はしっかりと手をあげていこうと

反省しつつ、ホクホクとしていました。

 

ただロードスター同士というだけで

この仲間意識…。

 

最初は、そういうのは

「ちょとめんどう」

と思っていた私なのに

『ヤエー』という文化の

一体何にホクホクするのか。

 

この瞬間を共有してる仲間という感覚は

ドーパミンやオキシトシンが出るのかも。

 

人見知りする私です…

友人でも複数人で会う付き合いは苦手な私。

大勢人が集まるところも苦手な私。

 

でも、全く知らない人なのに、

その一瞬、何か通じ合う感覚は、

「なんか楽しいね、こういうの」

とちょっと盛り上がりました。

 

 

その後、同日に、ロードスターとすれ違うことが

ありましたが、その後の夫は楽しげに

ドーパミンとオキシトシンを撒き散らし、

手をあげ、『ヤエー』というものを

自ら楽しむ、おじさんとなりました。

 

 

ロードスター乗りとして、

成長できたであろう日の

出来事です。

 

 

 

 

 

#23 新たな義父の介護②夜中に起こされた話

最近うちの冷蔵庫が

時々大きめの音で

ゴゴゴーとうなることが

多くなってきました。

壊れるのでは?

とビクビクして過ごしている

今日この頃です。

 

 

 

 

さて義母が入院して

日々の細かな介護が増えた事と

入院している義母の様子を見に

ほぼ毎日、病院にも通っていたため

自分の余裕がなくなっていた当時。

 

眉間に皺を寄せる毎日でした。

 

 

 

 

最初のうちは、食事をしっかり作ったり

義父が自分でできそうな事も

私がやらなくてはと思ってしまい

出勤前の慌ただしさの

余裕がないながらも

義父に気を使う毎日。

 

そんな日が続いた夜中の出来事です。

 

私たち家族がぐっすりと

眠っている時でした。

 

「ドンドンドンッ」

 

「ドンドンドンッ」

 

義父のいる1階から音がします。

その音で私は飛び起きました。

 

慌てて、階段を下りていくと

尻餅をついたような姿勢で

廊下にいる義父。

 

手に持っていた杖で誰か来てくれと

床を叩いていたようです。

 

慌てた私は、急いで義父の元へ行くと

「お父さん!どうした?」

義父に聞くと

 

「さっきから呼んどるだろ!

体が動かんのや。気にしてくれな困る!」

 

苛立ちを私にぶつけてきた義父の言葉が

一瞬で、胸にグサリと刺さりました。

 

いつも、義母にぶつけていた

横柄なものの言い方。

 

 

義父は

尻餅をついたわけではなく

お尻を擦りながら廊下まで

移動してきたようです。

 

「濡れタオル、持ってきて!」

 

廊下の奥の洗面所に

行こうとしていたのでしょう。

 

こんな夜中に起こされて

横柄なものの言い方に

血管が切れそうになりながら

濡れタオルを用意しに行きます。

 

後ろから、義父の苛立っている声が

私に向かって投げつけられました。

「夕飯の時も……!」何を言っているのか

はっきりわからないけど

ただ、私に文句を言っているのは

わかりました。

どうやら、夕食の時に何やら

気に入らないことがあったようです。

 

私は、ここでは書けない

暴言を心の中で呟き

濡らしたタオルを思い切り絞ります。

極めて冷静に、義父に渡しました。

 

それを受け取った義父は

 

「コーヒー入れて!」

とそのタオルで顔を拭きながら

言いました。

早く!と言いたげな口調です。

 

「なぜこの言い方なんだ」と

冷静を装いながら

 

「お父さん

今、夜中の2時だよ」

 

 

私は極めて冷静に、極めて冷静に

私は言いました。

 

 

私の言葉に義父は

「は?」

と、目を細め、時計を見ます。

どうやら、朝と間違えていたようです。

 

「まだ起きる時間じゃないから

早くベッドに戻ろ」

という私の言葉に

 

「ここで寝る」

とリビングで横になり始めました。

 

ここで寝ると言われても

そのままにするわけには行きません。

 

終始、投げ捨てるような

物の言い方に

私は、やり場のない怒りを

飲み込みながら、

押入れから布団を出し、

義父が座り込んでいるリビングに

布団を敷きました。

 

「お父さん、布団敷いたから

ここで寝て」

 

義父は無言で、布団に入りました。

それを見届け、電気を消しました。

 

 

私は、両手に拳を握り

ズンズンと階段を上りました。

私もベッドに戻り、目を閉じました。

 

 

 

 

「眠れない」

 

 

なかなか寝つくことができずにいました。

 

先ほどの出来事を思い出します。

 

当然、亭主関白な義父なので、

義母には、あんな感じで言葉を

ぶつけることは日常でした。

 

「でもあんな物の言い方

私にはしなかったのに…。

寝ぼけてたのだろうか」

「寝ぼけてて、無意識だった義父は

もしかしたら明日、このことを

覚えてないかもしれない」

 

色々な考えが頭に浮かんだことと、

いきなり、夜中に起こされたことで

なかなか寝付けなくなりました。

 

明日も仕事があります。

早く眠りたい私でしたが、

 

布団の中で

ゴロゴロと寝返りをうち

モヤモヤとしながら

 

そのうち

寝たのかどうかも分からないまま

朝を迎えました。

 

体が重いです。

 

昨夜のことが

頭に残っています。

 

朝のバタバタの中

それでも

義父のお世話に1階に行かなければ

いけません。

 

 

「お父さん、時間だよ。

朝食準備できてるから」

立ち上がるのを介助しようと手を貸すと

 

 

「昨夜、悪かったな」

 

ぼそっと呟きました。

 

寝ぼけて口にした言葉ではなく

自身の意思で発した言葉だったのかも

しれないと思いました。

 

その日はデイサービスの日だったので

着替えに時間もかかる義父は

早く起きなくてはと、寝坊してはいけないと

気を張っていたのかもしれません。

 

早く起きたつもりが、まだ夜中だった

ということだったのかもしれません。

 

義母が入院したことにより

私と義父との関係が近くなり、もしかしたら

義父にとって私は義母と同じ立ち位置に

なったのかもと思いました。

 

私が必要以上に気を使うことで

私と義父の守らなければいけない境界線が

曖昧になってしまっていたのかも。

そう思いました。

 

当時の私は

弱者だからと、体が不自由だからと、

「気を使ってもらって当然」

と介護をする側の人を、

ぞんざいに扱っていいわけではない

という考えも、

全てを義父に合わせる必要はない。

という考えも、

 

義父の大変さを理解するほど

罪悪感に引きずられ、

いつの間にか守らなければいけない

自分自身の境界線が

見えなくなっていました。

 

 

そしてその朝、

その出来事を

当然私は、夫にチクりました。

 

怒りをあらわにした夫。

私以上に、怒っていました。

 

「お父さんには何も言わなくていいから!」

 

と私は慌てて言いました。

 

共感してもらえただけでも

スッと気持ちが楽になりました。

 

今思えば、大したことでもないのですが

その渦中というのは

自分の気持ちを無視しながら

抑えながら、

時間を削りながらの介護。

疲弊します。

そんな心の余裕がない時の

出来事で、俯瞰して物事を

見ることができませんでした。

 

私は、夫が共感し代わりに怒ってくれたことで

私の感情の出口を作ってもらえました。

 

でも、1人で在宅介護をしている方で

やり場のない怒りが出てきたら、

「こんな感情になってはいけい。

私は冷たい人間だ。」

と思ったりすることもあるかもしれないいけど

誰にも代わってもらえない介護の中で、

感情まで1人で抱えるのは、

あまりにも重たいと思います。

 

怒りも、悲しさも、投げ出したいのも

自然に湧いてくる感情。

それは、冷たい人間なのではなく

「私は、限界に近い」

と言い換えてもいいのかなって思います。

ついつい相手の事情を考えてしまうと

また自分を押さえ込んでしまうので、

「もう逃げたい!」「関わりたくない」

って思うのは、愛がないからではなく

ただ身体的にも

精神的にも余裕が

無くなっているだけだと思います。

 

それを抱えながら

介護者となっている方々は

それだけで本当に十分なんじゃないかと

今、渦中ではないから

言えることかもしれませんが

私はそう思います。

 

 

#22 入院中の義母と新たに始まった義父の介護①

最近の私のお気に入りの動画は

娘から送られてきた

3歳の孫が大きな大根を洗う動画です。

アライグマさんでしょうか、

お猿さんの芋洗いでしょうか

小さなおててを小刻みに動かし

大根を洗う姿を、1日に何度か眺めては

可愛くて笑っています。

 

 

 

かわいい。癒しです。


さて義母が脳梗塞で入院したことで

それまで義母と助け合って暮らしていた

義父の生活、私たち夫婦の生活も

ガラッと変わりました。

 

義父はパーキンソン病があり

調子が悪い日の朝は

特に体が動かしづらいので、

ベッドから起き上がるだけでも

手を貸して、ようやく、といった感じ。

時間をかけ少しずつ立ち上がり

歩行器まで誘導します。

 

調子が良ければ

そのまま歩行器でトイレに行きます。

少し動き出せば、杖で動けたり

家の中では杖がなくても歩けたり

はできました。

 

朝、1階に行き

義父のために新聞をとりに行き

テーブルに置き

義父の朝食の準備ができたら。

義父をテーブルまで介助します。

 

そして2階に移動して

朝食準備とお弁当作り

 

戦場と化したキッチン。

殺気だっている私を気遣い

自分でご飯をよそう息子になりました。

 

自分の身支度を済ませ

仕事にいく準備をし、

1階の義父の様子を見に行きます。

義父の朝食の後片付けを済ませ、

次は義父の昼食と、薬、飲み物を

テーブルに並べておきます。

 

二世帯住宅の1階と2階を

行ったり来たりでした。

 

歩行困難な時の夜中のトイレは

ベッドの横に置いてある

ポータブルトイレで済ませていたので

ポータブルトイレの処理と

ゴミ出しは夫の仕事です。

 

今までは、義父の身の回りのことは

ある程度義母に任せていましたので

義母が入院したことで

なんだか細々としたことまで

介護時間が増えました。

 

例えば

 

「下着汚してしまったからそこに置いてある」

 

洗ってくれるのが

当然と言わんばかりに

洗濯機の前のカゴに

そのまま置いてある下着。

 

せめて

自分で汚れを水で流してくれたらと

ちょっとイラッとしながら

下着を洗います。

 

冷たい嫁です。

 

数日後

「下着とズボン汚したから」

と言われて、洗濯かごをみると

 

ズボンの又のあたりから

太ももにかけて茶色いシミが…。

「ついに今度はズボンまで」

と、眉間に皺を寄せドキッとする私。

 

 

 

「味噌汁こぼしたんや」

 

と言う義父。

 

 

紛らわしいです。

 

 

味噌汁だったことで

心の負担が一気に軽くなりました。

正直ほっとしました。

 

一度最悪な状態を想像した分

それくらい大したことではないと、

寛大な気持ちでいられました。

 

なんなら笑みがこぼれました。

 

 

義母が脳梗塞で入院となってから

私は仕事から帰ると毎日、

様子を見に病院に行くようにしていました。

 

入院2日目の義母は

顔を見るなり

「黙ってここにきて

ごめんね…お父さんにも伝えてないし

心配かけて…」

とメソメソ泣き出します。

泣きながら、意味不明なことを

話しているし、まだ呂律が回っていないから

何をいっているかよく分からないから

 

「大丈夫だよ。皆んな知ってるから。

昨日、私が病院に連れてきたんだから」

「安心していいよ」

 

と言う私の顔をみながら

なんかよく分からないという顔で

「よろしく頼むわ」とメソメソと泣いていました。

 

 

家に帰り、デイサービスから帰る義父を

迎えます。

「お母さんのとこ行きたい」

と言うので、もう一度義父を連れて

病院に行くことになりました。

 

実は、忙しい夕方に病院に行くのは

しんどいし、1人で行った方が楽だし

義父が行きたいとは言い出さない方に

賭けてしまった自分。

 

結果、2度も行く羽目になってしまったことに

「想定できてたでしょ」

と、自分を責めました。

 

「ちっ」心で舌打ちをします。

 

病院に義父を連れていくと

喜ぶ義母。涙を浮かべ

「ごめんね。勝手に出てきてしまって…」

と再びメソメソと呂律の回らない言葉で

義父に言いました。

 

義父は「何をいってるのかわからん」

と義母が話すたびに、私の顔を見て

通訳を求めます。

 

その都度なんとなく義母語を訳して

義父に伝えるという

私を挟んでの会話を繰り返しました。

 

義母は

「じゃあ、また来るから」

と言う義父の手を握り、涙を浮かべて

お別れします。

両手で握り合う義父母です。

 

そっと見守る私。

 

家に帰ると夕食の準備です。

カリカリとしながら夕食の準備を始めます。

再びキッチンが戦場になり

 

当時は、仕事から帰ってきた夫は

私の地雷を踏まないように、そーっと

歩いていたことでしょう。

 

その地雷はどこに埋まっているのか

「ここは?ここは大丈夫?」

と私の顔色をうかがっていたかも

しれません。

 

義母が入院したことにより

今まであまり見えなかった義父のことが

浮き彫りになっていきました。

パーキンソン病の薬のこと

幻視、そんな話を

また書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

夫が待ち望んだMazdaロードスターが我が家に来た日

私の夫が

欲しくてたまらなかった物。

Mazdaロードスター。

以前記事にもしたのですが↓

よかったらそちらから

読んでいただくと嬉しいです↓

sum237.hatenablog.com

昨年の10月中旬。

そのロードスターの納車日でした。

その時のお話しになります。

 

欲しくてたまらなかったロードスターを

契約してから2、3日すると

我が家に、Amazonから荷物が

毎日のように届くように

なりました。

 

どうやら、ロードスター関連の物です

Youtubeを参考に

夫が夜な夜な、ぽちぽちと

夢ふくらませ、買い物していたのでしょう。

とりあえず、現在はグループホームに

入所している義母のガランとしたリビングに、

ロードスターに使われるであろう

その届いた物たちを運ぶ日々でした。

 

納車日の前日には

全て箱から出され、部品ごとに

きれいに並べられていました。

「すぐに取り付けるぞ!」

という夫の意気込みが感じられました。

 

そして

そのロードスター関連であろう物たちを

いよいよ

つけるべきところに

取り付けられるのだろうと

納車日前夜、

ものすごく浮かれながら取り付けている

夫を思い浮かべ、しみじみ

眺めていた私でありました。

 

いよいよ当日の朝です

普段、朝起きると

夫はコーヒーを淹れてくれるのですが

 

普段はこんな感じ。

 

結婚して30年ほど一緒にいる私ですが

今でも時々

「なんか怒ってる?」

って聞いてしまうぐらい

怒り顔が普通の夫。

 

そんな夫の顔が

納車日の朝は違いました。

 

顔から嬉しさが溢れ出てます。

 

嬉しい時

ほんとに鼻の下が伸びるのですね。

 

「いつもより早起きだよねん」

「嬉しくて寝れなかったのん?」

 

からかわずにはいられない私。

 

午後からの納車のため

ソワソワしながらも平静を装いながら

昼食をとる夫。

「そろそろ行くか」

夫が切り出します。

 

帰りに夫はロードスターに

乗って帰ってくるので

行きは私の車で一緒にいきます。

 

以前は納車って家まで届けて

もらえたんですけどね。

今回はこちらからお迎えに行く形式です。

 

Mazdaに到着すると

すでに我が家にお迎えする

ロードスターが準備してありました。

 

「あれだな」

夫が呟きました。

本当は駆け寄りたい気持ち

だったでしょう。

落ち着いて近づく夫。

 

「ピカピカだな」

嬉しそうに言う夫。

夫の高揚感が伝わります。

 

店の中から、店長と担当の方がみえました。

 

担当の営業マンは

ふわふわパーマの素敵な青年です

「お越しいただきありがとうございます」

と店内の席に案内してくれました。

先ほど見た我が家がお迎えする

ロードスターがよく見える場所です。

 

操作、機能の説明、保証、点検、

アフターサービスについて説明があり

途中、その青年が一旦席を外しました。

時間がかかりそうだったので、その隙に

 

「ロードスターの写真とってきてあげようか?」

と私が夫に聞くと。

「頼む。」

と夫。

 意外に素直です。

 

パシャリパシャリと撮り

席に戻り、夫に見せると

「いいねー」

とご満悦です。



そしてその後

ちょっぴり長かった説明が終わると

夫がいよいよ

ロードスターのキーを受け取り

エンジンをかけます。

 

私も自分の車に乗り

エンジンをかけると

ちょうど営業マンの方々、

整備士の方々も、続々と

駆け足で店頭に

並び始めました。

「いやいやまさか…」

どうやらお見送りのためです。

 

夫は、ロードスターを夢見て

エアギアーチェンジ

(AT車なのにギアチェンジのマネ)

で左手、左足をせっせと動かし

練習していたとはいえ

所詮、エアです。こんなに

皆さんにお見送りされていたら

久々のマニュアル車、

夫は緊張してエンストするのでは?

心配です。

なによりも、服を買った時に

店員さんが紙袋を持って店頭まで

お見送りしてくるシステムも苦手な私。

「大袈裟なお見送りはちょっと…」

そんな思いを抱きながら

夫を確認すると

ロードスターのエンジンをかけながら

ふわふわパーマの青年担当営業マンと

何やら談笑しています。

 

「今のうちに行くしか…」

どさくさに紛れて私は先に出発しました。

 

しばらくして夫のロードスターも発進。

バックミラーに写る、夫を確認すると

 

おじぎをする皆さんに見送られ

無事出発することができたようでした。

後にその時の気持ちを聞くと

「いやーなんか緊張した!」

とのこと。でも夫は

大袈裟なお見送りも

まんざらでもなさそうです。

多分、偉い人になった気分が

味わえるからでしょう。

 

納車当日は、ガラスコーティングのため

専門店に預けたので

翌日、コーティングが終わった

さらにピカピカになったロードスターを

我が家に迎えました。

 

いよいよ夜な夜な吟味して

Amazonで購入していた物を

夫が取り付けます。

半日ほどかかり

夫が思い描いたであろう

ロードスターに仕上がった時

 

「ちょっとその辺ドライブ行く?」

と私に言う夫の顔は

平常心を装ってますが

 

鼻の下が伸びて

胸が高鳴っているのが漏れ出しています。

 

気持ちとは裏腹な表情を作ると

人は不自然な顔になるのですね。

 

秋晴れの空

夫の念願のオープンで

田舎道をドライブしました。

 

「嬉しいのか?」

と聞く私に

「うん、嬉しい」

とにやける夫。

おっ、時々素直です。

 

 

幸せそうでなにより。

 

 

 

 

また、ロードスターで旅行に行った話し

も書きたいと思ってます☺️

 

 

 

 

 

 

 

#21 脳梗塞で義母が入院になった日

私は、義父母がデイサービスがない日

仕事から帰ると

まず、義父母のリビングに

様子を見に顔を出します。

そしてその日の困りごとの

話を聞いていました。

 

デイサービスがお休みの

ある日のこと

いつものように

仕事から帰り様子を

見に行くと

 

「お母さん、体調悪いの?」

と、布団に横になっている

義母に聞くと

「ひょっと、寝てたんらけど」

いつもより若干、呂律が回っていません。

 

様子を見ると、歩けてはいます。

元気はありそうだけどなんか心配。

顔の右側が下がって見えます。

 

朝は普通だったけど

「いつからおかしい?」

と義父に聞くと

「昼ごろかなあ」

と答える義父。

今は15時前。

とりあえずかかりつけの脳神経外科に

電話で義母の様子を伝え

車で10分ほどの病院に向かうことに。

 

認知症でお世話になっている医師に

診てもらえました。

 

「目を瞑って腕を前に出してみて」

と言われ、両腕を前に出す義母ですが

右手が下がります。ついでに

後ろに倒れそうになり

なんだか意識も

はっきりしないような感じ。

 

あれ?

さっきまではもっと

意識はしっかりしてたのに?

って思っていると医師が

 

 

「あー切れてるかもしれないね」

先生が義母の様子をみて言いました。

血圧を測り、点滴。

 

MRIを撮り終え、画像を見ながら医師が

「切れてはいないね。脳梗塞。この左側」

画像を見ながら説明してくれました。

軽いものだそうで

 

体を動かす為の

指令を出す脳の場所に

血の流れが届かなくなった。

 

と説明され、しばらく入院となりました。

一通りの処置を終えた義母は

入院部屋に通されました。

 

後に脳梗塞は4.5時間以内に

血栓を溶かす薬を入れると

後遺症が残る可能性が低くなるという

話しを聞きました。

一刻を争うのですね。

 

でも、なぜ今、義母の意識が

ぼーっとしているのかわからないそうで

意識を司る脳の部分は正常とのこと。

 

元々、怖がりな義母なので

時間外の診察と

病院に着くと車椅子に乗せられ

ただ事ではない雰囲気に

びっくりして余計に

その気になっているに違いない。

 

 

たぶん義母は催眠術に

かかりやすいのではないかと

私は常々思っています。

特にネガティブな事柄について。

いつも洗剤を気にしている義母の記事↓

sum237.hatenablog.com

 

仕事中の為連絡してあった

旦那さんが病院に着き

合流して先生の話を聞きました。

 

「覚悟した方がいいですね」

と深刻な顔で言いました。

ピンとこない私は先生に尋ねました。

「覚悟っていうのは…?」

認知症が入院することによって

進んでしまい、このまま退院できない

可能性があるとのこと。

 

当時は

義父は認知機能は年相応。

でも身体が不自由で要介護2。

普段は杖などで歩行はできます。

調子が悪いと歩行も困難な状態。

義母は、認知症で要介護1だけど

身体は動ける。

 

だから2人でいれば

お互いが助け合い

なんとかなる部分もあったけど

義母が入院となると

義父の介護が今まで以上に

必要になってきます。

 

元々、亭主関白な義父

家事は義母任せだった為

認知機能は年相応でも

できないことだらけ

電子レンジも使えません

 

明日からのことを考えると

これから始まる新たな

介護に震えが止まらない

あの頃の私でした。

 

思い出すと、今でもどんより

してしまう出来事ですが

また少しずつ書いていこうと思います。

また読んでもらえたら嬉しいです。